プロフィール(要約版)
日本人の同調圧力に死ぬほど嫌気が差し、高校卒業後ニューヨークに留学。
「永住権なんて留学中にアメリカ人と結婚すりゃ余裕っしょ」という甘い考えのまま予定通り北欧系アメリカ人と学生結婚。永住権を取得する。
ウォール街の会社に就職したのち、妻から離婚を突きつけられ絶望。
抜け殻のように街をさまよっていたところ、偶然にもかの有名な小説「ザ・ゲーム」を本屋で見つける。
妻以外にも女の子がたくさんいることに気づき、バラ色の人生かと思われたが全くモテず再び絶望。
悔しさをバネに研鑽を積み、数え切れないほどフラれまくっているうち、付き合ってくれる女の子の数が徐々に増えていることに気付く。
離婚・非モテの反動でまんまとナイトライフ&恋愛スキルの向上にどハマりしたため、白人の女の子との恋愛経験が3桁以上に爆発的に増加。
白人女性との恋愛に関して右に出る者はいないと自負するレベルに。
面識があったアメリカの某有名ナンパスクールのオーナーから「ウチで働かないか」とスカウトされるが、当時の給料よりかなり落ちると思われたため断る。
ナンパ自体は別に好きでもなんでもなく、魅力的な女の子とロマンティックな恋愛をするのが好きなだけのデイゲーム(昼ナンパ)のスペシャリスト。
根性のねじ曲がった下劣なナンパは好まず、男女ともにハッピーになれるポジティブなナンパを推奨している。
ウォール街での仕事を退職後、友人たちと立ち上げたマーケティング会社の役員として活動中。
新たなチャレンジとして「自分の知識や経験をアウトプットし、より多くの人に役立ててもらう」ためブログを書き始める。
アイデンティティ的にはいわゆる「ナンパ師」では全くなく、「ビジネスマン」である。
1万時間を超える経験を積んだ分野には以下がある。
- 金融業界・ウォール街でのキャリア(約9年)
- 英語・英会話(20年以上)
- ナンパ・恋愛スキルの研鑽(10年以上)
- インターネットマーケティングの経験(10年以上)
ニューヨーク在住歴20年、ミレニアル世代のアラフォー。
おまけ。「ヒュー・マナハタ」という名称の由来。
- 「日本人の名前言いづらいからお前今日からヒューな」ってアメリカ人に勝手につけられたあだ名。
- NY付近で生活していた先住民の言葉で「丘の多い島」という意味であるマナハタという、マンハッタンの元になったといわれている言葉。以前はバワリーストリートらへんにManahattaというレストランというかバーがあり、たまにそこにナンパしに行ったりした。
ロングバージョンのプロフィールに目を通していただきありがとうございます。読めば大体どんな奴かわかるかも。↓↓↓
息苦しかった子供時代
もともと幼少期から自分が変わり者だとは思っていましたが、おかしいことは「おかしい」とハッキリ言うタイプだった僕は、個性を押さえつけるような日本社会に対してものすごい息苦しさを感じていました。
学校での成績は良かったものの、有無を言わさず同調を強いられる集団生活は頭がおかしくなるほど辛かったです。
実際に日本を出るまでは自分が幸せだとかあまり感じたことはなく、どちらかといえば毎日のように怒りや悲しみ、無力感などのネガティブな感情で心が埋め尽くされていました。
自分の中では「普通に大学に進学して、普通にサラリーマンをやって、普通の人生を送る」という選択肢はどう考えてもありえなかったので、人とは違うぶっ飛んだ人生を送ってやるんだとも常々思ってました。
17歳、初のソロ海外旅行で留学を決意
17歳の時、バイトで稼いだ50万円を使って一人でニューヨークに1週間ほど旅行したところ、居心地の良さと街の魅力に一瞬で虜になりました。
ニューヨークでは自分が外国人という感じが全くしなかったからです。
僕が何をしていようとニューヨーカーは我関せずで、ジロジロ見もしないし、気にも留めない。
挙げ句の果てには当時英語が喋れなかった、観光客である僕に道を尋ねてくる始末(当時はGoogleマップどころかGoogle自体が創業前)。
自分の居場所はここだったんだな。勝手にそう思い込んだ僕は「ホームレスになってでも絶対に将来ニューヨークに住みついてやる」と強く心に誓いました。
僕は東京・神奈川出身(注:両親の仕事の都合で東京と神奈川で複数回引っ越したため)なので、すでに東京圏で生活していたこともあり高校を卒業しても地元を去って上京できる場所が日本になかったことも留学を決める要因になりました。
僕がニューヨークに旅行した当時は未成年でも特に問題なかったのですが、今は18歳〜21歳未満だとチェックインできないホテルがあったり、親の同意書が必要な場合があるようです(年齢は州による)。
18歳未満で一人旅しようとしている人は注意しましょう。
留学前の恋愛状況
学校でも変わり者だったので、女の子にはあまりモテた記憶がないです。
物心ついた時から白人の女の子が三度の飯より大好物でしたが、東京には可愛い白人の女の子が全然いないので結構悩んだのを覚えています。
当時はマッチングアプリなどという便利なものは存在しなかったので、ネットの掲示板やチャットルームで地道にメールアドレスをゲットして細々と出会いにつなげていました。
まあ全然うまくいかなかったです(笑)。
ただ僕は必死なヤツだったので、数打ちゃ当たるとばかりにアタックしまくり、運良く可愛いアメリカ人の彼女ができました。
彼女は典型的な日本大好きアメリカ人で日本語も上手でした。しかし僕が非モテすぎたため呆れられ、数ヶ月でフラれることに。
留学を遅らせて結婚しようかと思うほど好きだったので、フラれた時はこの世の終わりかと思うぐらい落ち込みました。非モテ根性丸出しです。
留学、夢のニューヨーク生活へ
高校を卒業し、2度目のニューヨーク旅行から帰国して両親に「ニューヨークに留学したいんだけど」と相談したら「別にいいよ」と意外にもあっさりOK。
まずはニューヨーク大学(NYU)付属の語学学校に入学し、基礎的な英語力を鍛えました。
そのままニューヨーク大学でいくつか単位を取り始めたものの、ニューヨーク大学は学費がバカ高いことで有名(2024-2025年度は1年で900万円程度。卒業までではなく1年間の学費)な上、生活費の高い大都市への留学だったこともあり、中産階級の両親には卒業までに「余裕で土地付き一戸建てが買える額」の負担を強いることになりそうでした。
頑張って奨学金を得たりといったオプションもありましたが、大学を出ることに強いこだわりもなく、これ以上両親に迷惑をかけたくないと思い学業を断念。
当時は先々どんな苦労があるかなど全く考えてなかったですね。
留学生時代の恋愛状況
語学学校で褐色の肌が魅力的な、ナオミ・スコット似の可愛いベネズエラ人の彼女ができるも(注:ナオミ・スコットはラテン系ではなくインド系)、これまた非モテ症状が出たためひと月でフラれました。しかしお互い拙い英語でしたが、愛さえあればコミュニケーションなど問題にならない(笑)。
その後何人かと付き合ったのち北欧系アメリカ人の元妻に出会い、永住権が欲しかったこともありサクっと結婚(彼女が19歳、僕が21歳の時でした)。無事永住権をゲットします。
ちなみに元妻も日本大好きなアメリカ人でした。こう書くと日本大好きなアメリカ人が多そうな印象を受けるかもしれませんが、日本人男性を好きな(かつ可愛い)アメリカ人の女の子はかなり珍しいです。
実際僕も元妻に出会うまでは相当苦労しました。
半ニート生活
結婚を機に就職しようと思い立ちますが、大学を出ていないため一般企業への就職は困難を極めました。
まあバイトしながらまったりニューヨーク生活を謳歌していたのと、20歳の時に始めた株で予想外に儲けていたため、初任給が年400万円とかアホらしくて本気になれなかったんですよね。
さらに運悪くネトゲにハマり、2年ぐらい株とバイトとネトゲしかやってませんでした。結婚してたのに。
奇跡的に就職
ネトゲを辞めてからはさすがにちゃんとしないとな、と気合を入れまくって超本気で就職活動に取り組んだ結果、根性が伝わったのか奇跡的にウォール街の上場企業に就職することができました。
採用してくれた当時の上司には今でも感謝しかありません。
最終学歴は高卒のままでしたが、仕事は大卒レベルの内容だったので初年度の給料は6万ドル(2024年の為替レートだと900万円程度)ぐらい。
ウォール街での仕事が肌に合っていたこともありトントン拍子で昇給し、20代で年収10万ドル(2024年の為替レートだと1,500万円程度)を超えるようになります。最終的には年収14万ドル(2024年の為替レートだと2,000万円以上)だったでしょうか。
ただニューヨークは25人に1人が億万長者という世界一金持ちが多い街です。
有名大学院のMBAを持つような「ウォール街のエリート」であれば新卒で年収3,000万円〜4,000万円は当たり前、出世すれば億を稼ぐ人も珍しくない。
さらにそんなサイヤ人のエリート戦士すらをもはるかに凌駕する、フリーザクラスの超絶金持ちがゴロゴロいます(ドラゴンボールを知らない人すいません)。
事実ニューヨークの不動産市場では10億円〜ウン十億円はするような物件がそこかしこで売りに出されており、一般人はもちろんのこと資産が数十億円程度では全く手が出せないような世界が広がっているのです。
そんな環境では年収1,500万円〜2,000万円程度などハッキリ言ってヤムチャと同レベルで自慢にもなりません。
その程度の年収の人は掃いて捨てるほどいるので、家賃と物価の高いマンハッタンでは「やっと中流程度の暮らしができるようになった」ぐらいにしか感じられませんでした。
ちなみにこのブログは「元ウォール街金融マンの〜」とタイトルがつけられていますが、個人的には別にウォール街や金融の仕事にそこまで強烈なこだわりや思い入れがあるわけではありません。
要はウォール街云々はこのブログとはあまり関係ないのですが、書き手をよく知らない人には「元弁護士」だとか「現役医師」だとか、何らかの「肩書き」があった方が馴染みやすいと思いつけてあります。
離婚を突き付けられる
ここからは主に恋愛絡みの話になります。
結婚から1年も経たないうちに元妻に対する恋愛感情はほぼ無くなっていました。
元妻の方も僕に対する恋愛感情が冷めきっており、夫婦喧嘩が絶えない状態に。
結婚なんてそんなもんだろうと半ば諦めつつ、道ですれ違う可愛い女の子を見てはため息をつく。そんな毎日でした。
ウォール街での仕事をバリバリとこなしていたある日、元妻から唐突に離婚を突き付けられます。
恋愛感情は全く無かったとはいえ、家族としての情や信頼はあったので、離婚したいと告げられた時は我が身が引き裂かれるように辛かったです。
また「苦労して結婚までこぎつけた金髪碧眼の妻がいなくなったら、また最初から出会いを見つけないといけないのか」などと浅ましくも現実的な苦労を思うと、本当に絶望的な気分でした。非モテ根性全開です。
そして運命の出会い
離婚手続きのダメージでボロボロの毎日を過ごしていたある日、ふらりと入った日系書店でこんな煽り文が目に入りました。
「退屈な人生を変える 究極のナンパバイブル」
なんじゃこりゃ、と思ってパラパラと立ち読みすると、どうやら非モテの主人公が数々の経験を経てモテ男になるお話らしい。
え・・・これってもしや非モテ人生から一発逆転のチャンス?
そう思った僕はすぐにその「ザ・ゲーム」と書いてある本を購入し、あっという間に読破。
今となってはテクニック偏重と嘲笑される本ですが、出版された当時(2006年ごろ)では最先端の恋愛テクニックがちりばめられたベストセラー本。ウジウジと悩んでいた当時の僕にとってはまさに天からの救いでした。
離婚協議中にこの本に出会うあたりがなんとも運命的です(運命は微塵も信じていませんが)。
いままで街で見かけたあんな子やこんな子と付き合える可能性があるんだ、そう思うと急に未来がバラ色に見えてきました。
しかし全くモテない罠
晴れてシングルになった僕は意気揚々とバーやクラブに出かけましたが、最初の数ヶ月は女の子に話しかけても全く相手にされない状態が続きました。
そもそもそれまで「アジア人男性を好きな、少数派のアメリカ人女性」だけを狙い撃ちしていたから彼女を作ることができたのであって、「アジア人男性に興味がない、大多数を占めるアメリカ人女性」に取り合ってもらえるような恋愛スキルはなかったわけです。
知り合いでもなんでもないアメリカ人の女の子に英語で話しかけて会話を続けることすら難しいのに、そこから連絡先を聞き出し、デートまで持っていき、さらにベッドインするなど、当時の僕にとってはまるで雲をつかむような話。
いわばマイナスからのスタートとなった僕は、最初の半年は主にマイナスをゼロまで戻すだけの日々でした。
まずは知らない女の子に話しかけることに慣れ、会話を続けることに慣れ、その後連絡先をゲットしてデートに誘うことに慣れる。
当時はいつになったら可愛い女の子と付き合えるのか見当もつきませんでした。
スキル研鑽にどハマり
もともと東京でもよくクラブに通っていた僕は、離婚・非モテの反動もあり、毎週木金土になると取り憑かれたようにバーやクラブへ繰り出すようになります(実際はかなりの頻度で月〜土の週6出かけていました)。
ある程度ナンパにも慣れてきた僕は、ちょっとでもいいなと思った子にはガンガン話しかけたので「外国人としては高め」程度だった英語力も相当鍛えられ、アメリカ育ちと間違われるレベルにまで上達。
この頃になると寝ても覚めても「ナンパと恋愛」のことしか考えられず、「バーやクラブで経験を積む→結果を考察→改善→新しいやり方を試す」というプロセスをひたすら繰り返し、ナンパ・恋愛スキルの向上に全人生をかけてどハマりします。
小賢しいナンパテクニックはもちろんのこと、それ以外にもどんどん新しいことを学びたくなり、猛烈に読書しまくり、毎日ランニングし、ギターを始め、ヨガを試すなど、とにかく男としてのレベルを上げられそうなことは何にでも取り組みました。
ただそれだけやって恋愛スキルが急上昇していた割には「自分が魅力的だなと思う女の子」とはなかなかうまくいかなかったですし、爆発的な結果が出ていなかったことはめちゃくちゃ不満でした。
突然の転機
そんなライフスタイルを続けて1年が経過した頃、大きな転機を迎えます。アメリカのナンパコミュニティでは超有名なナンパスクールの、超有名インストラクターに何十万円も払ってレッスンを受けたことです。
ステマみたいですが、3日ほどのレッスン中にインストラクターから指摘された部分をちょこっと修正しただけで、レッスン後に桁違いの結果が出せるようになったのです(詳細はそのうち記事にでも)。
それまではイマイチ結果が出ていない理由がわかりませんでしたが、レッスン後は全てのピースがピタリとハマったかのごとく、自分の周りで何が起こっているのかが理解できるようになりました。
さながら映画「マトリックス」で主人公のネオが「ザ・ワン(=かの者、邦訳では救世主)」として目覚めた時のような感覚でしょうか。
それからというもの僕の日常は管理しきれないほどデートの約束であふれることになり、リピートで遊ぶ女の子も増えすぎて自分の時間が全くない状態に。
白人の女の子との恋愛経験は3桁を突破し、ここには書くことができないようなデカダントなことも色々経験しました。
この時期はあまりにもデートが多すぎて落ち着かず、何のために生きているのかわからなくなるほど混沌とした日々でしたね。
スカウトされる
突如として急成長を遂げた僕は、ニューヨークのナンパコミュニティ内でも「ヒューというやつはアジア人なのに白人の女の子をゲットしまくっている」と噂になり始め、界隈ではちょっと知られた存在になっていました。
そのため夜バーやクラブに行くと全く知らない人から「君ヒューだろ?」と声をかけられるようになります(※実際には別のハンドルネームで活動していたのでそちらで呼ばれてました)。
この噂を聞きつけた例のナンパスクールのオーナーから
「うまくやっているようで良かった。ところで今ウチの社内は君のことで持ちきりなんだ。アジア人のスターが出てきたって。よければウチで働いてみないか?」
という感じにスカウトされます。
これは面白そうだなとは思ったものの、残念ながら断ることに。
そもそも僕は「ナンパ師」ではなくて「ビジネスマン」だし、転職すると給料がウォール街の仕事よりかなり下がることは明白だったからです。
ちなみに僕はこのナンパスクールのプロモビデオにも登場しています。LAでレッスンを受けていた時の一コマですね。
その後
恋愛スキルが開眼してから何年かは様々な女の子とのデートを楽しんでいましたが、しばらくすると代わり映えしない仕事と恋愛の単調なルーティンに心底飽き飽きしてきました。
当時の給料は世間一般から見れば悪くなかったわけですが、2倍、3倍と増えていくことは考えづらかったし、ナンパ・恋愛スキルもほぼキャップまで到達してしまったので、そこから何倍にも成長する余地がなかったことが飽きてしまった理由だと思います。
そんな停滞感に苛まれていた折、たまたま病気にかかり休職したタイミングで友達から「新しくマーケティングの会社を作るから創業メンバーにならないか」と誘われ、渡りに船とばかりに参加を即断。
それから現在に至るまで役員として活動しています。
しかしこちらも停滞感を感じつつあり、新しいチャレンジをする時期が来たと思っています。
そこで、今まで散々やろうと思いつつもできなかった「自分の知識や経験をアウトプットし、より多くの人に役立ててもらう」ことに挑戦しようと思いこのブログを書き始めた次第です。
以上、長文にお付き合いいただきありがとうございました。